アベノ中国語道場

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【成語・ことわざ篇】 大是大非

大是大非dà shì dà fēi (成語)

 

〔意味〕根本的な是と非、原則的な是と非

 

《例文》

 

逃税问题千万不要忽视,我认为这是大是大非的问题。

(脱税問題はくれぐれも軽視してはならない、これは原則的な是非の問題だと思う)

【慣用句篇】看样子

看样子kàn yàngzi

 

〔意味〕見たところ、どうやら~だ。

 

“样子”は、「情勢」、「形勢」という意味です。

すなわち、“看样子”→「情勢を見ると」→「見たところ」となります。

 

<使用例>

 

A:今天下午咱们去体育场打网球吧。

(今日の午後グランドに行ってテニスしようよ)

B:你看天阴沉沉的,看样子要下雨,还是改天再去吧。

(見て、お天気良くないわ、どうやら雨になりそう、また今度行きましょうよ)

 

“看样子”は、“好像”、“可能”、“看来”などと置き換えができます。

いずれも「どうやら」、「たぶん~だ」というような意味になります。

【文化篇】 美しい二胡の調べ

中国の伝統的な民族音楽で使われる民族楽器の中では、「二胡」は比較的有名です。最近では、香港や台湾、中国のポップスの中でもよく使われるようになりました。また、日本では中国の民族楽器で構成されたバンド「女子十二楽坊」でもよく知られています。

二胡は弓を使って弦を弾く「擦弦楽器」に分類されます。西洋のバイオリンと同じ種類です。

二胡の起源は唐代までさかのぼり、千年を超える歴史を有しています。古くは「胡琴」と呼ばれていました。名称に「胡」の字が使われているように、西方から伝来した楽器です。

 

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二胡

二胡の構造

 

二胡は、八角形または六角形の箱型のボディー(琴筒)に太い棒(琴杆)を垂直に差し、その棒に2本の弦を張ってあります。擦弦楽器で弓を使いますが、弓は2本の弦の間に挟んで弾きます。西洋のヴァイオリンとの大きな違いの一つは、この弦の使い方です。ヴァイオリンは4本の弦に弓を上から乗せて弾きますが、二胡は弦の間に挟むので、弓の両面を使います。

ヴァイオリンとのもう一つの違いは、弾くときには弦が指板に触れず、指を弦の上に乗せて押さえます。最初のうちは弦の押さえが不安定に感じますが、慣れてくれば問題有りません。奏法上は、弦を内側に押し込むことで微妙な音程のずらし(ギターで言うチョーキング)を出すことができ、二胡独特の表現が可能となります。北京系の楽器は琴筒が八角形で、蘇州系は六角形です。

箱型の琴筒に太い琴杆を差し、そこに弦を張っただけの実にシンプルな構造の楽器ですが、熟練者が弾くと実に豊かな音色を出すことができます。プロ演奏家の中には、ヴァイオリンの難曲「チゴイネルワイゼン」を弾く人もいて、正確な音程もきちんと出せます。

ボディーには弦を弾いた音を共鳴、増幅させるために、動物の皮が張って有ります。二胡の場合はニシキヘビの皮を使います。ボディーのヘビ革と弦の間には“琴吗”と呼ばれる駒(ブリッジ)を挟んで弦を固定します。このパーツは非常に重要で、位置によって音色が変わってきます。

 

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二胡・琴筒

二胡の作曲家と演奏家

 

劉天華(1895~1932)

 

近代中国の作曲家で、特に民族音楽の分野で優れた作品を残しました。江蘇省江陰の出身で、1912年に故郷の江陰から上海に出て開明劇社という劇団で働くかたわら、ピアノとヴァイオリンを学びながら西洋音楽を習得しました。

その後は地元の中学校に音楽教師として勤務し、民間の演奏家から二胡や琵琶を学びました。

二胡の作品としては、『病中吟』、『良宵』、『空山鳥語』など10曲を残しました。劉天華の作品が、現在でも盛んに演奏されています。

劉天華は二胡の演奏にも優れ、多くの弟子を取って自らの音楽を後世に伝えました。

 

 阿炳(1893~1950)

 

阿炳は本名を華彦鈞といい、江蘇省無錫の人です。父親は道教の僧侶(道士)で、生涯を通じて民間の音楽家として活動しました。父の死後に道士を継ぎましたが、その頃は、アヘンを吸ったり、娼館に出入りしたりと、放蕩な生活を送りました。そのために眼病を患い両目の視力を失ってしまいました。失明した後は道士としても務めを果たすことができず、仕方なく街中で二胡を弾き、芸を売りながら生計を立てました。

阿炳は劉天華と違い、西洋音楽は学ばずに中国の民族音楽だけを極めた、生粋の民族音楽家です。彼の作品には『聴松』、『寒春風曲』などたくさん有りますが、最も有名な曲は『二泉映月』です。

 

蒋風之(1908~1986)

 

蒋風之は中国を代表する二胡演奏家の一人です。彼は幼少の頃から音楽に親しみ、10歳で横笛、12歳で二胡を習い始めました。20歳を過ぎた頃から二胡の大家劉天華に師事し、彼の芸風を直接受け継ぎました。

その後は、中国を代表する二胡の名手として、多くの後進を育て、劉天華の音楽を後世に伝えました。

 

閔恵芬(1945~2014)

 

閔恵芬は、江蘇省宜興市出身の女性二胡演奏家です。彼女の父親も二胡演奏家で、劉天華の弟子でした。幼少の頃から父親について二胡を学び始め、父親を通じて劉天華の音楽を吸収していきました。

彼女は戦後世代の二胡演奏家としては第一人者で、海外十数カ国で演奏会を開き大成功を収めました。その叙情的で、深い情感を湛えた演奏は、多くの聴衆から支持されました。

かつて、ニューヨークの演奏会で閔恵芬の演奏を聴いた指揮者の小澤征爾は、涙を流しながら「彼女は世界の中で五本の指に入る弦楽器奏者だ」と最大の賛辞を送ったそうです。

【慣用句篇】倒霉了

倒霉了dǎoméi le

 

〔意味〕ひどい目にあう、ついてない、ばかを見る

 

ついてない時、ひどい目に遭った時などによくこう言います。

意味を強調する場合は、

 

倒霉死了! (死ぬほどついてない)

真倒霉! (ほんとについてない)

到了大霉了! (さんざんだ)

 

などと言います。

 

<使用例>

 

A:我今天倒霉死了。

(今日はひどい目に遭ったよ)

B:你怎么了?

(どうした?)

A:刚刚领到的工资,在回家的路上给丢了。

(もらったばかりの給料、帰り道でなくしちゃった)

B:太傻了吧!

(バカじゃない!)

 

“倒霉”はまた、「(女性が)生理になる」という意味も有ります。

 

今天我来了倒霉了。

(きょう私あの日が来ちゃった)

【成語・ことわざ篇】 大名鼎鼎

大名鼎鼎dà míng dǐng dǐng (成語)

 

〔意味〕名のとどろいている、世間に名前がよく知られている

 

《例文》

 

这位就是大名鼎鼎的诺贝尔奖金得主,作家高行健先生。

(こちらがかの有名なノーベル賞受賞者、作家の高行健さんです)

 

※類義語:赫赫有名

【類義語篇】 明白 — 清楚

明白míngbai(形)明確である、はっきりしている、分かりやすい

清楚qīngchu(形)明瞭である、はっきりしている

 

“明白”は「分かりやすい」という点に重点が置かれ、「内容」、「意味」、「理由」、「言葉」、「行為」などが難しくなく理解しやすいという意味で使われます。

“清楚”は「明瞭である」という点に重点が置かれ、「態度」、「状況」、「関係」などが曖昧でなく明瞭である、また、「輪郭」、「痕跡」、「音声」などがはっきりして識別しやすいという意味で使われます。

では、それぞれ例文を見ていきましょう。

 

明白

 

老师讲的话明白易懂。

(先生の話ははっきりしていて分かりやすい)

公司倒闭的原因终于弄明白了。

(会社が倒産した原因がついにはっきりした)

 

清楚

 

这些条款合同书上写得很清楚。

(これらの条項は契約書にはっきりと書いてある。)

他说话的声音太小,我听不清楚。

(彼の話す声が小さくて、はっきり聞き取れない)

 

“明白”と“清楚”はまた動詞の用法もあり、いずれも「理解している」「分かる」という意味になります。

 

我一点儿不明白他要说什么。

(彼は何が言いたいのか少しも分からない)

他最清楚这机器的操作方法。

(この機械の操作方法は彼がいちばん分かっている)

 

『学習のポイント』

 

“明白”には人を修飾する用法も有ります。その場合は、「聡明な」という意味になります。

 

他是个明白人,绝对不会做那种傻事。

(彼は賢い人だから、絶対にそんな馬鹿なまねはしない)

【文法篇】 「経験」を表す表現

過去の「経験」について述べるときは、動詞の後にアスペクト助詞の“过”を置きます。

この場合、“过”の発音は軽声となり声調は付きません。

 

では、下記に基本的な構文を見ていきましょう。

 

〔肯定文〕「~したことがあります」

 

主語 + 動詞 + 过 + 目的語(名詞)

 

我去过乌鲁木齐。

(私はウルムチに行ったことがあります)

我学过西班牙语。

(私はスペイン語を習ったことがあります)

 

肯定文では、よく副詞の“曾经céngjīng”(かつて、以前)を取り、動詞の前に置かれます。

 

我姐姐曾经在大阪住工作过两年。

(私の姉は以前大阪で2年働いたことがあります)

 

「経験」を表す“过”の後は“了”を取りません。

また、経験した回数を付け加えるときには、

 

主語 + 動詞 + 过 + 回数 + 目的語

 

となります。しかし、目的語が人を表す名詞または人称代名詞の場合は、回数を表す語は目的語の後に置きます。

 

我在日本看过一次棒球比赛。

(私は日本で一度野球の試合を見たことがあります)

我在北京的展会见过他一次。

(私は北京の展示会で一度彼に会ったことがあります)

 

〔疑問文〕「~したことがありますか?」

 

疑問文の場合は、文末に“吗”または“没有”を置きます。

 

主語 + 動詞 + 过 + 目的語(名詞) + 吗/没有?

 

你来过我们学校吗?

(あなたは私たちの学校に来たことがありますか?)

你们住过和平饭店没有?

(あなたたちはピースホテルに宿泊したことがありますか?)

 

疑問文に対する返答は、下記のようになります。

 

你学过日语吗?

(あなたは日本語を学んだことがありますか?)

——学过。 /  没学过。

(はい、あります。 / いいえ、ありません)

 

〔否定形〕「~したことがありません」

 

主語 + 没(有) + 動詞 + 过 + 目的語

 

我没看过那部电影。

(わたしはあの映画を見に行かなかった)

 

否定文の場合は、しばしば副詞の“还hái”(まだ)“从来cónglái”(これまで、かつて)を取ります。

 

我还没踢过足球。

(わたしはまだサッカーをしたことがありません)

他从来没滑过雪。

(彼はこれまでスキーをしたことがありません)

 

              《学習のポイント》

 

“过”は、「経験」を表す以外にも、動詞の後に置かれて、その動作が確実に「終わった」「すんだ」という意味を表す用法が有ります。

この場合は、文末に“了”を取るのが一般的です。

 

你吃过饭了吗?

(ごはんは食べましたか?)

——我吃过了。 / 还没吃呢

(食べました / いいえ、まだ食べてません)。

 

この“了”は「もう~してしまった」という語感を表しているので、“过”を使う場合は、“了”取るほうが自然な表現になります。

【成語・ことわざ篇】 习以为常

习以为常xí yǐ wéi cháng (成語)

 

〔意味〕慣れて当たり前になる、慣れっこになる

 

《例文》

 

小马早上起来常不洗脸,已经习以为常了。

(馬くんは朝起きていつも顔を洗わないが、もう慣れっこになってしまった)

【慣用句篇】 心里有数

心里有数xīnlǐ yǒushù

 

〔意味〕物事に対して確信が有る、心に思惑・打算が有る

 

物事に対して確信があり、自信を持って言えるときの表現です。

 

<使用例>

 

A:快点儿吧,都十点了,再不快点儿就赶不上火车了。

(急いで、もう10時だよ、急がないと列車に乗り遅れるよ)

B:别着急,我心里有数,保证晚不了。

(慌てるなよ、僕は自信が有る、絶対間に合うから)

 

“心中有数”とも言います。

【成語・ことわざ篇】 天下乌鸦一般黑

天下乌鸦一般黑tiāxià wūyā yībān hēi (ことわざ)

 

〔意味〕世の中の烏はみな黒い、悪いやつはみな同じ

 

《例文》

 

他在交易中一再吃亏。天下乌鸦一般黑,好像商人没有一个好样儿的。

(彼は取引の中でたびたびひどい目にあった。悪いやつはみな同じ、商人はいい人間が一人もいないようだ)

【類義語篇】 传染 — 感染

传染chuánrǎn(動)(病気が)伝染する、(悪習が)移る

感染gǎnrǎn (動)(病気に)感染する、(言葉や行為によって)影響を与える、感化する

 

“传染”は、病原体(病気)が別の人間や動物に移ることを表します。また、悪い習慣が他人に移ることも表します。

“感染”は、病原体が身体に侵入し病気になることを表します。また、言葉や行為によって、他人に(良い)影響を与えることも表します。

 

では、それぞれ例文を見ていきましょう。

 

传染

 

这种疾病,不仅传染人,也传染动物。

(この種の病気は、人にうつるだけでなく、動物にもうつる)

千万不要把这种不健康的情调传染给学生们。

(くれぐれもこうした不健全なムードを学生たちに広げないように)

 

感染

 

伤口还没完全愈合yùhé,特别要注意别感染了细菌。

(傷口がまだ完全に塞がっていない、最近感染には特に注意を払うように)

受到父亲感染,孩子也爱好起了音乐。

(父親の良い影響を受け、子供も音楽が好きになり始めた)

 

              『学習のポイント』

 

“传染”と“感染”は、実際に会話の中では混同されるケースも有りますが、「病気が(他の人間や動物に)移る、広まる」という意味を表す場合は、“传染”の方がより適切な表現と言えます。例えば、

 

快离开,别把病○○给我们大家。

 

と言う場合は、“传染”を用いる方がより適切です。

また、第2の意味で用いる場合は、“传染”と“感染”は逆の意味になるので、置き換えはできません。

【慣用句篇】 侃大山

侃大山kǎn dàshān

 

〔意味〕おしゃべりをする、とりとめなく世間話をする

 

“侃大山”は元々北京の方言で、1970~80年代の北京の若者の間で流行りました。

“侃”には「おしゃべりする」「からかう」などの意味があり、“砍”とも書きます。

 

<使用例>

 

A:昨天晚上你干什么去了?我到你家找你去了。

(昨夜は何しに行ったの?君を尋ねて家までいったんだよ)

B:没干什么,在外面和小刘他们一起山南海北地聊天儿了。

(別に何も。外で劉くんたちと一緒に、いろいろと世間話をしてたよ)

A:原来你们在一起侃大山啦。

(なんだ、君たち一緒におしゃべりしてたのか)

 

“山南海北”= とりとめのない雑談、よもやま話

【成語・ことわざ篇】 一举两得

一举两得yī jǔ liǎng dé(成語)

 

〔意味〕一挙両得

 

《例文》

 

我换了份工作,增加了工资,单位又离家进了。真是一举两得。

(転職したら、給料が上がったし、会社も家から近くなった。本当に一挙両得だ)

 

※類義語:一石二鸟

 

ちなみに、中国語では、“一举两得”は良い意味で、“一石二鸟”は悪い意味で使われることが多いそうです。

【類義語篇】 钟 — 表

钟zhōng(名)(大型の)時計

表biǎo (名)(小型の)時計

 

“钟”は、置き時計や掛け時計などの大型の時計を指します。

 

挂钟 (掛け時計)

座钟 (置き時計)

闹钟 (目覚まし時計)

 

“表”は、携帯する腕時計などの小型の時計を指します。

 

手表 (腕時計)

怀表 (懐中時計)

表带 (腕時計のベルト)

 

上記の両方を含む総称としての時計は、“钟表”を用います。

 

钟表店 (時計店)

钟表厂 (時計工場)

钟表匠 (時計の修理工)