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【文化篇】 文房四宝 

「文房四宝」の「文房」とは中国語で「書斎」を意味し、「四宝」とは文字を書くための四つの道具、すなわち「筆」、「墨」、「紙」、「硯」を指します。「文房四宝」は,書道になくてはならない四つの宝というわけです。具体的には、それぞれ4つの道具の最も優れた産地の名前を冠して、“湖笔húbǐ”(浙江省湖州の筆)、“徽墨huīmò”(安徽省徽州の墨)、“宣纸xuānzhǐ”(安徽省宣城の紙)“端砚duānyàn”(広東省端渓の硯)を指します。しかし、時代によっては「文房四宝」に挙げられる産地は異なり、筆は“宣笔”(安徽省宣城の筆)が入る時代も有ります。

 

 

筆は、竹製の軸に動物から取った毛を筆先に加工してつくられます。筆の品種は、使われる動物の種類によって分けられ、主に下記の4種類の筆が有ります。

 

“狼毫” イタチのしっぽの毛を使ったもの

“羊毫” ヤギの毛を使ったもの

“紫毫” 野うさぎの毛を使ったもの

“兼毫” 2種類以上の動物の毛を混ぜて使ったもの

 

“狼毫”と言っても本物の狼の毛ではなく、イタチの毛を使います。イタチは中国では“黄鼠狼”と呼ばれるので、そこから取られた呼び方ではないでしょうか。

この内よく使われるのは、“狼毫”と“羊毫”ですが、“狼毫”は筆先が硬く、“羊毫”は柔らかいという違いが有ります。自分の筆圧や用途によって使い分けます。

“湖笔”のふるさとである浙江省湖州は、古くから書に関わりの深い書家や文化人、例えば“王羲之”(東晋時代の書家)、“颜真卿”(唐時代の政治家、書家)、“苏东坡”(北宋時代の政治家)などが住居を構えたところです。

湖州の筆が「文房四宝」に挙げられたのは元朝以降で、それ以前は宣城の筆が有名でした。

 

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湖笔

 

墨は、樹木や油を焼いて得られる煤と香料などに膠を混ぜて練り固めたものです。煤の原料によって、「松煙墨」(松の木を焼いてつくった煤を使う)と「油煙墨」(植物油などを焼いてつくった煤を使う)に分けられます。

煤の成分は炭素(カーボン)で、現在でも「カーボンブラック」といって、油やガスを焼いて取った煤は、黒色顔料などの原料として利用されています(最大の用途はタイヤ)。また、朱色の墨(「朱墨」)に使われる材料は「辰砂」(硫化水銀の鉱物)です。

製造後に年月が経って乾燥した墨は「古墨」と呼ばれ、墨の伸びがよく、黒色に立体感が出て珍重されています。

墨の名品と言われる“徽墨”のふるさとは、安徽省の徽州(黄山市、宣城市一帯)です。

唐代晩期に起こった安史の乱によって、北方にいた墨職人が戦乱を避けて南方へ逃れ、墨の生産もそれにつれて南に移りました。明代中期以降、安徽省の徽州一帯に墨の産地が集中し、しだいに天下一品の“徽墨”が知られるようになったのです。徽州一帯は山が多く、原料の松も大量に供給できました。

“徽墨”は、墨の乗りがよく、色目も黒々とし、年月が経っても色あせることがありません。また、筆が紙にまとわり付かず、香りもよいので、多くの文人墨客に愛されるようになりました。

現在では、墨の生産量が全国1位で、日本や韓国など海外へも盛んに輸出されています。

 

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徽墨

 

紙は、中国の後漢時代に、宦官の蔡倫が発明したと伝えられています。それまでは、竹や木を薄く削った「竹簡」や「木簡」、または絹の布帛を紙の変わりに使っていました。

「文房四宝」の中で、紙の名産地として挙げられているのは安徽省の宣城で、宣城産の紙は“宣纸”と言い特別に重宝されました。日本では、書画に用いられる紙は「画仙紙」と呼ばれますが、この呼称は中国の“宣纸”から来ていると言われています。

宣城地方には、“宣纸”の材料となる青檀(セイタン)がたくさん自生しており、それを原料として良質な紙が造られました。“宣纸”は墨の乗りがよく非常に丈夫で、年月を経ても色が変わらないと言う特徴を備えています。

紙は宋代の頃にはすでに普及していましたが、それでも上流階級を中心に使われえた高価なもので、当時は書き損じたいわゆる「反古紙」が売り買いされていたと言います。

紙を造る製紙技術は、7世紀頃までには日本に伝わり、その後日本の紙は「和紙」と呼ばれて独自の発展を遂げました。

 

 

硯は、墨を水で磨り卸すために石・瓦等で作られた道具です。特に中国で珍重されたのは、広東省の端渓にある硯で、“端砚”と呼ばれます。

端渓は、広東省の中心である広州から西へ100kmほど行ったところにあります。端渓の石が硯に使われるようになったのは唐代からで、宋代に量産されるようになって一躍有名になりましたこのころに、日本にも伝えられたと言います。

端渓で取れる石は紫色を基調とした大変に美しいもので、特に石の目が細かく彫刻に向き、様々な意匠を施した硯が多く造られました。文房四宝の中では、最もコレクション的な価値が高いと言えます。特に、年代ものの“端砚”は高値で取引されました。

硯の名品としては、広東の“端砚”の他には甘粛省甘南州の“洮砚táoyàn”、安徽省黄山の“歙砚shèyàn”、山西省忻州の“澄泥砚chéngníyàn”が有ります。4つ併せて“四大名砚”と称されます。

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端砚

以上のように、「文房四宝」は中国歴代の文人に愛されてきました。歴史的に見ると、南唐五代十国の1つ)時代に工芸が大変盛んになり、その影響をうけた北宋以降に「文房四宝」の収蔵が盛んに行われたそうです。

南唐には、李中主・後主という2代の国王がいましたが、いづれも文化を奨励し工芸を盛んに興しました。職人に官位と高い俸禄を与えた結果、優れた製品をたくさん生み出しました。南唐時代の「文房四宝」な、後の歴代皇帝によって愛蔵されたと言います。