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【文化篇】 中国の大学 -後編-

前回は、中国の大学について、その全体像(起源、ランキング、日中の大学の違い)を紹介しましたが、今回は、ランキング上位の大学、さらに日本人と中国の大学の関わりなどについて紹介していきたいと思います。

 

北京大学

北京大学の前身は1898年に北京に創設された「京師大学堂」です。国立の総合大学としては、中国最古となります。その後中華民国の時代になり、1912年に「国立北京大学」に改称されました。1917年に革命派の蔡元培が校長に就任すると、陳独秀、李大釗、魯迅胡適など当時第一級の文化人を教授に迎えました。その結果、北京大学は20年代に起こった新文化運動の中心地となりました。

抗日戦争がはじまると、北京大学は精華大学、天津の南開大学と共同で雲南省昆明に移転し、「西南聯合大学」と改称されました。戦後は北京に戻って名称も「北京大学」に戻して、現在に至っています。

現在の北京大学を見ると、大学内は53の「学院」と「系」で構成されています。「系」とは日本の大学の「学部」に相当しますが、中国では単科大学を主体とする「カレッジ制」を取っているため、単純な比較はできません。「学院」と「系」は同列とされています。

北京大学の学生数は約29,600人となります。

各学部の内訳を見ると、6つの主要学部の下にたくさんの「学院」と「系」が置かれています。

その他、学際的な「学院」、「研究所」が有ります。

北京大学の「学部」とは各専門分野の分類を指すだけで、実際に日本のような学部が存在しているわけではありません。

北京大学の卒業生では、李克強(現首相)、薄熙来(元中央政治局委員、汚職で失脚)、胡春華(現副総理)などがいます。

 

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清華大学

清華大学は、1911年に創設された清華学堂が起源です。この学校は、アメリカ留学のための予備校でした。1900年に起こった義和団の乱の対米賠償金の一部を利用したプログラムに基づいて設立されました。当時、中国人留学生の派遣を賠償金減額の条件としてアメリカ側が提案したものです。その後、1928年に国立清華大学に改称されました。

清華大学はこのような起源を持っており、中国の中ではアメリカとの関係が特に深い大学です。1990年代以降、中国の大学では自ら起業を立ち上げる事例がいくつも出てきましたが、清華大学では、特にモトローラなどのアメリカ企業との合弁を行っています。

清華大学はもともと理工系の大学として発展してきた歴史が有り、現在では「エンジニアの揺籃」として、優れた技術者を多数輩出しています。

清華大学の学生数は約53,300名となります。

大学の構成は、14の「学院」の下に複数の「系」が置かれています。

現在では、理工系、文系両方を有する総合大学ですが、理工系の「学院」が多数を占めています。

清華大学の卒業生では、習近平(現国家主席)、朱鎔基(元首相)、胡錦涛(元国家主席)、呉邦国(元政治局常務委員)などがいます。ここで取り上げた政治家は、すべて清華大学の理工系出身で、いわゆる「テクノクラート」です。

 

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復旦大学

北京大学清華大学を中国北方の名門校とすると、復旦大学は南方を代表する名門です。

2021年の大学ランキングでは第6位と後退しましたが、歴史と名声から言えば、中国を代表する大学からは外せません。

復旦大学は、1905年に著名な教育家の馬相伯によって、私立復旦高公学として上海に設立されました。中華民国期には、個人によって創設された私学校がいくつも有ります。例えば、天津の南開大学も、1921年に教育家の張伯苓によって創設されました。

その後1917年には私立復旦大学に改称し、1941年に国立大学になりました。

復担大学の学生数は28,900名となります。

大学の構成は、17の「学院」とその下に69の「系」が置かれています。

また、研究機関として、中国語言文学研究所、中国社会主義市場経済研究センター、アメリカ問題研究センター、日本研究センターなど、77の研究所及び研究センターを有しています。

復旦大学の卒業生には、李嵐清(元国務副総理)、唐家璇(元外交部長)、韓正(元上海市長)などがいます。復旦大学の卒業生には、国家指導者や政治家よりも、財界、金融界のリーダーが多いようです。

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浙江大学

浙江大学も中国南方を代表する著名な大学と言えます。歴史も古く、その前身は1997年に浙江省杭州に創設された旧是書院です。その後、1901年に求是大学堂、1903年に浙江高等学院と改名されました。中華民国成立後の1928年には、国立浙江大学となりました。さらに抗日戦争期間には中国の西方へ移転され、1946年に杭州に戻りました。

新中国建国後の1952年には、当時の政府による学制改革でいくつかの単科大学に分けられました。改革開放後の1998年には、浙江農業大学、杭州大学、浙江医科大学を吸収合併し、新しい浙江大学が誕生しました。

大学内部の改革としては、2009年に「学部制」を導入、多くの「学院」が7つの学部に整理されました。但し、学部と言っても日本の大学とは異なり、あくまで専攻別のカテゴリーにすぎず、学部としての実体はありません。

浙江大学の学生数は66,772人で、規模としては非常に大きな大学です。

浙江大学の構成を見ると7つの学部の下に37の「学院」が置かれています。

浙江大学の卒業生には、現代の有名な政治家は少ないですが、歴史上の人物、陳独秀中国共産党創始者の一人)、陳布雷(蒋介石の政治ブレーン)、胡喬木(中国共産党元老の一人)などがいます。

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上海交通大学

前身は、1896年に盛宣懐が上海に創設した南洋公学です。当時は上海租界の中にキャンパスが有り、戦火の影響が有りませんでした。中華民国成立後の1910年代後半には、南洋大学、さらに上海工業専門学堂と改称されました。さらに、抗日戦争期は重慶に移転し、戦後上海に戻りました。

新中国建国後の1956年には、西北教育支援のため大学の60%の人員を西安に移し、交通大学西安分部、上海分部としました。その後、1959年に西安交通大学、上海交通大学がそれぞれ成立し、2つの大学は独自の発展を遂げています。

改革開放後の1999年には上海農学院、2005年には上海第二医科大学を吸収合併し、総合大学としての学科が整いました。現在は、上海市内の5つの地区にキャンパスを持っています。

上海交通大学の学生数は42,707名となります。

大学の構成は30の「学院」の下に、67の専攻科目が置かれています。

「学院」の構成を見ると分かりますが、清華大学と同じく理工系が非常に充実しています。

上海交通大学の卒業生で最も有名なのは、90年代に国家主席を務めた江沢民でしょう。その他には、中国ロケット工学の先駆者と言われる銭学森などがいます。

 

f:id:zhongtian65:20210819082452j:plain 日本人と中国の大学との関わりで言えば、最も身近なものは中国留学でしょう。実際、中国の大学に在籍する外国人留学生で、最も割合が多いのは日本人と韓国人です。しかし、中韓で言えば、両国が国交正常化したのは1994年で、それ以前には韓国人の留学生は全くいませんでした。しかし、中韓の間で経済交流が始まると、韓国政府は中国関連の人材育成を目的に、中国留学に対し補助金を出す政策を始めました。そのため、中国に留学する韓国人が一気に増えたのです。

筆者も中国留学を二度経験しています。一度目は1991年から北京師範大学での語学留学、二度目は1999年から天津南開大学での大学院修士です。北京留学時代は欧米人の留学生が多かったのですが、天津では韓国人留学生の多さに驚きました。

中国留学は、語学(中国語)と専門分野に分かれますが、割合から見ると、語学留学生が多いようです。専門分野を学ぶ留学生は本科生と大学院生に分かれます。また、近年では中国の高校にも留学できるようです。

留学先の選択としては、どの都市に行くか、またはどの大学を選ぶかで変わってきます。語学留学の場合は言語環境も重要です。この点は北京がベストでしょう。また、専門分野を学ぶ場合は、大学で選ぶケースが多くなります。語学留学の場合は教員の質も重要ですが、中国語教育のレベルが高いのは、外国語大学か教育大学(師範大学)になります。外国語大学は語学に特化、師範大学は教員養成のための大学なので、いずれも教員の質は高いようです。

 

今回は、中国の大学についていろいろと紹介してきました。興味を持たれた方には、ぜひ中国留学をお勧めします。実際に中国で生活しながら、中国語なり専門分野を学ぶことは非常に得難い経験です。中国に留学する場合の動機は人によっていろいろあるでしょうが、それが将来必ず役に立つ時が来るでしょう。